やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

ボッチが集う「ボッチの会」にボッチはいない

いつも「自分は孤独だ」と嘆いている高齢女性が、同類の人達と「ボッチの会」なるものを結成したと嬉々と語っていました。会員資格は「いつもひとりぼっちで仲間のいない女性」であれば誰でも歓迎とか。時々皆で集まって飲み会をやるらしい。

「いやいや『会』を結成した時点で、皆さんボッチじゃないでしょう」と、思わず喉まで出かかりましたが、ぐっとこらえました。よく考えれば、私には関係のないことですしね。f:id:keynuu773:20190508070224j:plain

自己許容しながら生きよう

人間は自己矛盾をいくつも抱えているけど、自己矛盾は自分許容しなくては息苦しくてとても生きてはいけません。そんなことを考えていると、63歳で家族を捨て山の中の一軒家で過ごした詩人の加島祥造を思い浮かべました。 

詩人、翻訳家、国立横浜代教授と華々しい経歴と数多くの著作を誇る加島祥造は、2015年に92歳で生涯を閉じました。63歳で家族を捨てた加島は、結局約30年間長野の山の中で暮らすのですが、その間仙人の如くストイックに暮らしたかといえばけっしてそうではありません。

加島祥造「求めない」

加島といえば晩年「求めない」という詩集がベストセラーになりましたが、ハンサムで教養のある加島は、若い頃がら最晩年までともかく女性にもてました。「求めない」といっても女性の方から寄ってくるのです。 

80代になってからも、ドイツ人女性と同居生活をしていました。ただ悲しいことに女性の方が加島よりも先に亡くなってしまいます。しかし、その後もボランティアかどうか定かではありませんが、身の回りの世話をしてくれる女性がいたようです。 

「孤独だでも淋しくはない」は、加島自身の言葉ですが、本当に孤独だと感じていたのかは疑問符のつくところです。 

求めない (小学館文庫)

求めない (小学館文庫)

 

  「足るを知る」

加島の才能は英文翻訳ばかりでなく、中国語にも発揮されます。老子を翻訳した「タオ老子」も話題になりました。その中で加島が引き合いに出したのが「足るを知る」という言葉です。「満足したという心を知れ」ということだと私は理解しています。つまり満足を知らないと、常に不満足状態になり欲が次々に湧いてくるということなのでしょう。 

タオ―老子 (ちくま文庫)

タオ―老子 (ちくま文庫)

 

 人は満ち足りないから前に進める

だけどこれは、加島の「人生勝利宣言」のように思えて仕方ありません。たとえば60L給油できるタンクのある車だと、50Lで満足したといえるでしょう。これで少なくとも500㎞は走行できるのですから。しかし20Lしか給油できないタンクの車は満タンに入れても20Lしか入らないのです。これでは頑張っても200㎞しか走行できません。

 そもそも到達点が大きく異なるのですから、20L組の私としては「足るを知る」と言われても、すんなりと納得のできることではありません。

 これまで人生を謳歌してきた人にとっては「もうこれで十分だ」という領域に達することもあるでしょう。しかし私などのように何事もなし得ていない人間にとっては、常に何かを求めて奔走するしか生きる術はないのです。

まとめ~「ボッチの会」は行方は?

誤解のないように急いで付け加えれば、私は加島祥造が嫌いなわけではありません。むしろ尊敬もしているし、影響も受けています。ただ悲しいかな、つい妬んでしまうということなのです。 

だから加島となんら共通点もない私としては、今後も貪欲に「求める」し、何事も「満ち足りない」と感じながら生きようと考えています。

ところで冒頭の「ボッチの会」ですが、誰か矛盾点を指摘した人がいるようで会の名前を変更したそうです。その名も「女子会」。会員の平均年齢は68歳なのですが……。