やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

歌はバリアフリーなのに根強い男女格差が存在する謎

 

男女平等を建前としながらも、現実の社会では男女格差は数多くあります。その最たるものが、いわゆる夫婦別姓問題でしょう。 なぜ男女格差はなくらないのか、それを日本語特有の言語体系から読み解いていきましょう。

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合憲判決が下される

民法には、「夫婦は同じ名字にする」という別姓を認めない規定があります。東京などの男女5人が「婚姻の自由などを保障した憲法に違反する」と、国に賠償を求める裁判を起こし、その判決が2015年に出された報道をご記憶の方も多いでしょう。 

明治時代から 続く夫婦別姓を認めないこの民法の規定について、最高裁判所大法廷は「名字が改められることで、アイデンティティが失われるという見方もあるが、旧姓の通称使用で緩和されており、憲法に違反しない」という判断を示しました。 

こういう判決がでることは、ある程度予測されていましたが、意外だったのは、違憲とする判事が多かったことです。 

最高裁判所の裁判官は、最高裁判所長官と、最高裁判所判事14名の15名で構成されています。そして、夫婦同姓は合憲であるとしたのが10名、違憲としたのが5名でした。この15人のうち女性裁判官は現在3人、そして5名の違憲とした裁判官のうち3人は女性でした。女性判事は100%の人が違憲と判断したことになります。つまり、この裁判官任用比率が、もし男女平等であったら、判決が大きく変わっていた可能性があるということです。 

外国では夫婦別姓が常識

そもそも、アメリカやイギリスなどの欧米の多くの国では夫婦が同じ名字にするか別々の名字にするかを選ぶことができます。しかも夫婦の一方が結婚前の名字を併記したり、夫の名字と妻の名字を合体させたりする「複合姓」を認めている国も少なくありません。

逆に夫婦別姓を認めない国ですが、ドイツでは夫婦のどちらかの名字を選び、どちらか決まらない場合は、夫の名字になる規定だったようですが、女性差別だとして1990年代に見直されました。 

妻が夫の名字にするよう義務づけられていたタイでは、2005年に法律が改正され、別姓が認められたというように、元々、別姓が認められていなかった国でも選択の自由を認める動きが広がっています。 

それでは、現在でも夫婦同姓を義務付けている国はどこかというと、政府がいうには、日本以外には確認できていないとのことです。つまり、日本以外にはないということです。 

姓の選択の自由は保障されているのか

いやいや何も男の姓を選択しろとはどこにも決めていない、つまり男女平等ではないかという意見もあると思います。しかし現実に目を向けると、結婚した夫婦の96%が夫の姓を選んでいるのです。 

しかもこの数値は、厚生労働省が調査を始めた約60年前から一貫して変わっていません。時代の変化とともに、妻の姓になる夫が増えているだろうと思いがちですが、59年前の昭和32年で妻の姓を選んだのは全体の4%でした。この傾向は一貫して変わらず、20年前では妻の姓を選んだ夫婦は3%、そして去年は4%でした。 

このあたりの事情は、いろいろあると思いますが、もし別姓が認められるとしたら、別姓を選択する女性は、一桁台にとどまるようなことはないと思います。それは、通称(旧姓)使用が認められている会社や役所における通称使用率をみれば一目瞭然でしょう。 

その通称使用も、法的な行為をするときは、本名でないと不可ということがありますから、特に役所で管理職になった女性が、命令処分を下すときの名前が、いつもの使用に しているものと違うということは、現実の運用でもあります。 

保育にも実害が

もっと一般的な事例では、保育所から職場にかかってくる電話は、普通は本名で告げられます。子供が熱を出したからすぐにお迎えをという要請です。

私もサラリーマン時代に何度か受けたことがありますが、聞き慣れない苗字に「そんな人はここにはいない。電話を間違えていないか」と言ったことがあります。通称で仕事をしている人の本名など、よほど親しくしてない限り把握していませんから。

しかし、そんな不自由な思いをしてでも通称を使用する人が多いというのは、やはり夫婦別姓を渇望する秘めたる声が、そこに確実にあるということの証左です。

やはり男性中心社会なのか

法律上は、婚姻の際に男女どちらか一方の姓を選べるとされていながら、今なお96%の夫婦が男性の姓を採用しているという事実は、いみじくも、日本が未だに男性中心の社会であることを物語っています。女性側に姓を変えることを望んでいる人が多いということもあるでしょうが、実のところ男性が自らの姓を変えることに抵抗感が強いからでしょう。

 法律の中にもある男児格差

このように建前上の平等を振りかざしながら、実際は不平等な法律は他にもあります。

厚生労働省令である「事務所衛生基準規則」です。この省令の第17条の中に、事務所のトイレについて設置数が定められています。 

条文は省略して、結論を書きだせば、次の数をもうけるように定めています。

  • 男性:60人あたり ➡ 大1個以上, 小2個以上
  • 女性:60人あたり ➡ 大3個以上

つまり、法律上は「男女ともに60人あたり3個以上」必要で、さらに、男性の場合には「60人あたり、大便所が1個以上、小便所が2個以上」にしなければならない、と決まっているのです。 

一見数の上では平等にみえますが、ある調査によると、トイレの使用時間は、「男性40秒に対して女性2分」など、「女性は男性の約3倍程度かかる」という結果になっています。 

使用時間は3倍かかるのに、トイレの数が同じということであれば、これは真の平等とはいいがたいでしょう。もし昼休みにトイレが込み合うオフィスにお勤めの方がおられたら、あるいはこの「不平等」な省令に原因があるかもしれません。  

歌の世界では日本語はバリアフリー

ところで男女 差といえば、日本では、男性歌手が女性の立場で歌うことがあります。少し古いですが、森進一の「女のため息」、殿様キングスの「女の操」などがそうです ね。そういえば、徳永英明が、女性歌手のカバーアルバムを出したこともありました。

逆に、女性シンガーが「僕は…… ♬ 」なんて歌う と、とても愛らしくまた純真な少年の気持が伝わってきます。このあたりは、まさに日本語の特性で、歌詞の内容と歌手の性が違っていても、まったく違和感なく受け入れることができます。 

さらには、一人の歌手が一つの歌の中で、男女を使い分けることも可能です。古いたとえですが太田裕美の「木綿のハンカチーフ」などがそうでしょう。 

これが、I 、YOU、 WEと男女使い分けがない英語圏の歌手はできません。このため、男は男の立場で、女は女の立場で歌うしかないのです。したがって徳永英明のようにカバー曲として別性の人の曲を歌う場合は、一部歌詞を変えることになります。 

たとえばHeをSheするとか、BoyをGirlに変えて歌っています。少し前に流行った「ありのままで……♬」の「雪とアナの女王」の主題歌「Let it go」も人気曲ですからいろんな人が歌っています。この曲も男性が歌う場合は、QueenをKingに変えて歌っているのです。

 男女別姓を認めていないのは日本だけという政府見解がありますが、男女の主語が異なる言語というのも、これまた稀有なのです。 

この男性語、女性語の存在が、男女別姓の実現を遠ざけているのだと私は密かに考えています。