やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

ドッグランで走らないという選択

最近読んだ本の中で、印象に残ったのが、小川洋子の短編小説「帯同馬」です。これは、競馬ファン以外の人にもよく知られているディープインパクトという競走馬が、フランスの凱旋門賞に遠征した際に、帯同したピカレストコートという馬に着目した話です。

競走馬が海外遠征する際、主役の馬が寂しくならないよう 仲の良い(まさに「馬が合う」)馬を帯同させることがあります。ピカレストコートはその役割を担わされたわけです。当然、人々はディープインパクトの一挙 手一投足に注目しますが、帯同馬を気に掛ける人は誰もいません。小川洋子は、この誰にも注目されない馬に視線を向けて物語を展開します。

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この小説 を読み終えて、もし自分がピカレストコートの立場であったらどうするだろうと思いました。人間でいえば、海外で大きなプロジェクトがあって、その 責任者に仲の良い同僚が抜擢される。その同僚のプレッシャーを緩和させる役割として同行を打診されるようなものです。当然、プロジェクトが成功裏に終われ ば、成果を称えられるのは同僚のみです。そんな役割をはたして受けるだろうかということです。断れるものなら、断りたいと考えるのが人情ではないでしょうか。

この春も、いろいろな人事動向が新聞の紙面を賑わせています。私の知っている人が、大都市の副市長に抜擢されたり、大手企業の東京支店長に昇進していたりすると、一瞬だけ、自分の人生がはたしてこれでよかったのかと自問自答してしまいます。もちろん、客観的にどう足掻いても、そんなポジション の足元にも及ばないことに気付いて気持も落ち着くのですが、やはりどこかで我が身を他人と比べているさもしい自分がいるのです。

そんなときに、いろいろと教えてくれるのが、柴犬773号です。何しろ彼女は他人の動向などまるで気にしていませんから、どこかの犬がコンクールで入賞したとか警察犬に抜 擢されたなんてニュースは眼中外です。

先日も車で10分ばかり走ったところにあるドッグランに初めて連れていったのですが、予想外の行動に驚かされまし た。私は、リードから解き放された犬は日頃のうっ憤を解消すべく、全力で走り回るものだと思っていました。ところが、リードを外しても相変わらずその場に佇んでいるだけです。ドッグランで走らないと、入場料の元が取れないと勘定高い飼い主を尻目に、せいぜいが周囲の雑草を嗅ぎ回るくらいです。どうやら私 は、ドッグランでは犬が喜んで走るものだという固定観念に縛られていたようです。結局、最後の最後までまったく走ることなくこの場を後にしました。

柴犬773号は、日常の散歩でも不思議な行動をとります。散歩自体は、特に可もなく不可もなく淡々とこなしているのですが、20分ばかり歩いて家に戻り、玄関の戸 を開けた途端に人(犬)が変わったかのように大興奮で走り回るのです(ドッグランではまるで走らなかったのにです)。

まず玄関のスリッパをくわえてテー ブルの周囲を全力で何度も周回。その次に唸りながら自分のベッドに噛みついて振り回すというルーチンをこなします。まさに歓びを体全体で表しているのが伝 わってきます。

これほどまでに家に帰ったことに喜びを示すのだから、彼女の散歩の目的は、家に帰ることなのでしょう。「家に帰るために外出する」この禅問答にも似た哲学を私にぶつけてくるのです。

ドッグランでは、走りたい者だけが全力で走って競い合えばいい、自分のペースでゆったりと歩くというのもひとつの味わいだと柴犬773号が教えてくれた気がします。