やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

雨の日に友達はいらない!傘を探そう

子どもの頃、友達を大切にしようと言われました。:友達は人生を豊かにしてくれたり、励ましてくれたりしてくれる存在だと教えられました。だとすると、友達がいないと生きていけないのでしょうか。はたして友達とは何なのか、ちょっと考えてみましょう。

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 友達の種類は多い

「友達」には、いろいろな種類があります。一般的に認知されている友達はもちろん、SNS上の友達もいますし、かつてはペンフレンドという友達を多く存在していました。複雑なコミュニケーション能力を要するママ友というのもあります。「お友達」という言い方をする友達もいます。女性が言うと、上品なお付き合いという定義でいいのですが、男性が恣意的に使うとやや意味深なネガティブな意味合いになります。

 

友達がもたらす弊害もある

さてその友達ですが、はたして生きていくうえで必要不可欠でしょうか。

私は、あえて友達など必要ないと断言します。友達などいなくても生きていくうえで何ら支障がないからです。これだけシステム化された社会ですから、仕事も日常生活も友達なしで十分に成り立ちます。

仕事先で、関わりのある相手は友達でしょうか。むしろ、友達ではなく事務的な付き合いで成立している関係の人がほとんどです。仕事など変に情を絡めるよりは、ビジネスライクで進めた方がスムーズに運ぶのです。

私の知り合いは、古い友達がいるという大手ハウスメーカーに注文住宅を依頼しましたが、特に割引をしてもらったわけではないようです。それどころか、完成したら思っていたプランとの相違があったのです。しかし友達だから最終的には妥協したと言っていました。 

話を聞く限り、その友達はあまり優秀な営業マンとはいえなかったようです。たとえばモデルルームでその営業マンに出会っていたら、私はアンケートを提出しないでしょう。(※注:アンケートを出したら、その人が自動的に担当になります) 

家を建てた私の知り合いも、なまじそんな友達さえいなかったら、優秀な営業マンが担当になって、理想の住宅が完成していたかもしれません。その人は、友達というカセがあったばかりに「快適な暮らし」という大きなものを失ったことになります。

なぜ一人ぼっちを嘆くのか

日常生活でも、ホームセンターや量販家電店の店員が友達なんてことの方が稀です。つまり、この世の中は、友達がいなくても、成り立つし、楽勝で生きていけるということです。 

最近では、大学の学食でも、一人で食事ができる仕様の「ぼっち席」というのが登場したと聞きます。私に言わせれば、ようやく登場したかという思いです。要は、友達がいない人間はだめ人間だという風潮に左右されて卑屈になることこそがだめだということです。 

不思議に思うのは、雑誌やネットの相談コーナーで「最近友達に拒絶されている」という相談をしている人がいることです。こういう人は「友達がいるのが当たり前」だと思うから悩むのです。「友達がいなくても何の問題もない」と考えれば、何ら悩む必要はないどころか、その心の身軽さを喜べるのです。 

最近活躍めざましい、女性騎手藤田菜々子さんですが、現在JRAで唯一の女性騎手です。あえて「男女間に友情が成り立たない説」に立てば、彼女は業界に一人の友達もいない状態でレースに挑んでいることになります。 

一方で、あるバトミントン選手は、友達から違法ギャンブルに誘われて、手を染めたばかりにオリンピックの出場機会を逃しました。アジア大会に出場予定だったバスケット選手の一部は、仲間と連れ立っていかがわしいエリアに潜入したばかりに、強制帰国させられたうえに1年間の出場停止処分となりました。 

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雨の日に必要なのは友情ではない

思い出しながら列挙するだけで、友達がいたばかりにかけがえのないものを失った人がいかに多いかが分かります。 

突然の雨に戸惑っているときに友と出会ってもろくなことになりません。せいぜいが近くのコンビニで買った一本の傘に肩を半分濡らしながら駅に向かうのがオチなのです。 

私は突然の雨に打たれたら、おもむろに鞄から折りたたみ傘を取り出して、傘を持たない知り合いに出会わぬよう、俯き加減に街を歩くようにしています。かつてバブルの時代には、「銀行は晴れの日に傘を貸して、雨の日に奪い取る」と言われたこともありました。雨の日には銀行だってなりふり構っていられないのです。 

私だって、雨の日に他人のことを考える余裕など、とてもじゃないがありません。