やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

人は目に見えるところにしか心を届けることができない

配慮のできる人物に対して「あの人は細かいところまで目が行き届く」などと言いますが、実のところ、人間は目の見えるところでしか他人を思いやることができないのです。この世の中が冷たく、孤独に感じるのは、そんな人間の特性が原因ではないでしょうか。

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他人に進路を譲る女子高生

こんなことがありました。改札口で二つの流れが合流するところで、女子高生がもう一方の流れの方に道を譲りました。最初 は奥ゆかしい娘さんだと好感をもったのですが、この女子高生は立ち止まったまま、いつまでももう一方の流れの方にプリーズのポーズを続けているのです。

彼女の後ろに並んだ方は堪ったものではありません。さすがに、流れている方の人が気づいて、こちらの列も流れたのですが、やはり自分の後ろにも同じように人 が並んでいることを認識したうえで親切心を示すべきだったでしょう。 

エレベーターはバスではない

あるいは、ある役所に行ったとき、一階からエレベーターに乗り込んだところで、「待って」と高齢女性の大声がしました。 私は慌てて「開」ボタンを押して待機しましたが、その女性はエレベーターには乗らず「もう一人来ます」と言うのです。 

しかし、どこにも姿が見えません。怪訝な顔をすると「もうすぐトイレから出てきます」と言うではありませんか。トイレは、廊下を挟んだ位置にありましたから、いくらか時間を要しそうです。私は、黙ってエレベーターを閉じました。 

田舎のバスでもあるまいし、しばらく待てば必ずエレベーターは来るのです。さすがに多少後味が悪かったので、「見えないけれど、上の階で大勢の人が待っている」と自分に言い聞かせました。それにエレベーターは2台稼働していましたしね。 

神に誓って断言しますが、これがたとえ相手がセレーナ・ゴメスであったとしても当然同じ対応をしています。もっともセレーナ・ゴメスが、トイレにいる友人のためにエレベーターを待たせるようなことはしないと思いますが。

アリアナ・グランデは見た目を気にしない

一方で、日本のメディアは見えるところをぞんざいに扱うことがあります。何年か前に米国の若手歌手、アリアナ・グランデが来日したときの話です。

 何かのテレビ番組のゲストとして出演したときに、芸人の近藤春菜(ハリセンボン)とのからみで「マイケル・ムーア監督じゃねぇよ」とか「シュレックじゃねぇよ」という春奈の得意ネタに対して、アリアナはまるで無反応だったのです。 そればかりか「素敵な個性だから自信をもって」と春菜を激励すらしていました。

当然だと思いました。現在のアメリカでは、このような容姿を笑ったり、その笑いの中に嘲りが含まれたりしているものは、もはや 許容されなくなっているのです。また不細工も肥満も薄毛も出っ歯も、それを笑うことは差別的な行為だという認識が急速に浸透しています。 

我々日本人は、 欧米人やアジアの各国よりも道徳心が秀でていると思いがちですが、この容姿を笑いにする風潮を持ち合わせた人権感覚は、相当の後進国だと自覚しなくてはいけないでしょう。 

だけどアリアナはデンジャラス・ウーマン

ちなみにアリアナは、最近彼氏のサイズに関する秘密をテレビ番組で暴露して話題になりました。どうやら見た目の差別には厳しい反応を示す米国も下ネタには寛大なようですね。逆にこちらは日本では完全に放送禁止か放送事故の扱いでしょう。 

最近たて続けにアルバムを出したアリアナ・グランデ、ますます活躍を期待したところです。