やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

守るべき名誉とは何だったのか

驚いた国会議員もいたものです。まさか北方領土を取り返すために「戦争をやろう」と提案するとは。「戦争」という言葉は、「反対」という文脈の中で使われることがほとんどなので、ことさら重く受け止めることはなかったのですが、推進する文脈で使用すると、たちまちきな臭くなります。

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 村上春樹に抗議した議員

国会議員の暴言は今に始まったことではなく、暴言による大臣クラスの引責辞任は毎年のように繰り返されます。

このように公人の発言が話題になったときに、いつも思い出すのが、村上春樹の「女のいない男たち」に収録されている短編小説「ドライブ・マイ・カー」です。

ここに登場するみさきという女性は、運転が抜群に上手く、人間的にも魅力的な人物として描かれています。みさきは、月刊誌の「文芸春秋」で発表された当初は、実在する北海道の中頓別町出身として設定されていましたが、単行本の発行に際しては「上十二滝町」という架空の町に改変されていました。なぜかといえば、中頓別町の町会議員有志が抗議をしたからです。 

女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)

女のいない男たち (文春文庫 む 5-14)

 

抗議は正当だったのか

どんな文脈で中頓別町が使用されたのでしょうか。

「ドライブ・マイ・カー」では、みさきが車窓から火のついたたばこを外に投げ捨てます。それを見た主人公の家福の心の内がこう表現されていました。 

「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」

 これに対して町会議員が「誤解を招く」として抗議していたのです。しかし、これはあくまでフィクションの小説であり、しかもその登場人物の一人の心の中を描写したに過ぎません。作者が地の文で断定したわけでもなんでもないのです。

 当然、真っ当なほとんどの読み手はそんな誤解などしないでしょう。逆に私などは、ここにでてくる女性、みさきがあまりに魅力的に描かれているので、小説だと思いつつも、出身地がもし元の作品どおり実在の町として登場していたなら、この中頓別町に興味を持っていただろ うと思います。

全体の文脈を理解していれば、普通に受け入れられることであるにもかかわらず、抗議までしたというのはあまりにもお門違いな過剰反応だったといえるでしよう。

 村上氏は、「小説の本質とはそれほど関係のない箇所なのでテクニカルな処理によって問題は解消した」と大人の対応を述べているので、外野の人間がとやかく言うべきではないのかもしれません。しかし誤解もしくは曲解に起因しているだけに、この問題はどうにも釈然としません。 

keynuu773.hatenablog.com

当時はどう報じられたか

この問題を取り上げた当時の週刊朝日の記事をみてみましょう。 

この表現に、同町の町議らから、「事実に反する」などという声が上がり、文藝春秋に質問状を送る動きがあることを、2月5日の毎日新聞北海道版が報じた。

するとこれがツイッターなどを通じてネット上で拡散。7日には村上氏が、<住んでおられる人々を不快な気持ちにさせたとしたら、それは僕にとってまことに心苦しいことであり、残念なことです。(略)単行本にするときには別の名前に変えたい>とコメントを出す事態になった。

 これを受け、町には抗議が殺到した。質問状を送った一人の町議のブログにも、<無知な田舎者めが><思想、心情、表現の自由憲法から勉強しなおせ>などといった書き込みがあふれ、“炎上”したのだ。

 

同町の東海林繁幸町議(75)は困惑した様子だ。

「若手町議が村上さんの小説を読んで問題意識をもち、議会として何らかの決議をしてはどうかと声を上げた。ただ、議会決議にはなじまないので、有志による質問状という形をとったんです。悲しい思いや憤りはあったが、抗議というほどのものではなかった。それが報道後、町には多数の苦情が寄せられた。『舞台にされたんだから喜べ』とまで言われているんです」

 

碓井広義・上智大教授(メディア論)はこう解説する。

「小説を読んだかぎり、中頓別町はたばこのポイ捨てが多いという誤解や偏見を生むような表現ではない。あくまで小説、という意識が読む側に必要だと思います。ただ、この件は“村上春樹”というネームバリューもあってネットで拡散したのが大きい。作品自体を読まずに騒いでいる人たちも多いはずです」

早々にコメントを出した村上氏の「大人の対応」だけが光る結末となった。

 「週刊朝日 2014年2月28日号」より

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

おわりに

抗議した議員は、村上作品は世界中に読まれ、しかも今後何百年と残る可能性があるから抗議をしたのでしょうが、だからこそ、むしろ中頓別町の名を刻んでおくべきだったのではないかと私は思います。