やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

「思えば遠くへ……」は距離よりも時間の方が切ない~病と文学

最近の出産は妊婦の精神面のフォローにも配慮しているようで、出産の三日後には、家族も招かれディナーを楽しみました。院内の食堂ですので、もちろんアルコールは出ませんが、メインが近江牛のステーキというレストラン並みのフルコースだったので、十分に堪能することができました。 

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寺田虎彦『どんぐり』

医療施設の整った現在と違い、昔の出産は、私などでは想像もつかないくらい大変だったと思います。妊婦を描いたエッセイで思い出すのが、寺田寅彦 の「どんぐり」です。寺田寅彦といえば、「天災は忘れたころにやってくる」という名言で有名な気象学者ですが、実は夏目漱石に師事し、数多くの優れた随筆 を残しています。

 その中の最高傑作が「どんぐり」といわれています。この作品は著作権が切れており、ネットでも読むことができます。 

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寅彦の妻である夏子は妊娠をしています。しかし不幸なことに19歳の若さで結核に侵されてしまいます。当時は有効な治療方法もなく不治の病とされていましたから、夏子の気持はどんどん沈んでいきます。 

そんなある日、寅彦と外出した夏子は、どんぐりが落ちているのを見つけて、ひたすら拾い続けます。自分のハンカチ一杯に集めると、寅彦の ハンカチまで取り上げてそれも一杯にします。 

この描写の次の行に、突然「どんぐりを拾って喜んだ妻はもういない」と続きますから、対比の大きさに寅彦の切なさが浮き彫りにされます。続けて六歳の子どもが無邪気にはしゃぐ姿が描写されており、夏子が出産後に亡くなったことが分かります。 

史実をひも解くと、夏子は寅彦の父親によって四国の離島に隔離されたようです。しかし、寅彦は、父に隠れて徒歩で夏子に会いにいったのですから、その愛情の深さが分かります。  

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 病と文学

結核の療養をテーマにした小説での傑作といえば、誰もが思い浮かべるのが、堀辰雄の「風立ちぬ」でしょう。「風立ちぬいざ生きめやも」の一節が、この純愛小説のテーマを貫いています。 

少し新しいところでは、宮本輝の短編小説「不良馬場」も読みごたえのある作品です。商 社マンの男に出世の登竜門であるアメリカ支社への転勤辞令が出ます。男は、渡米前に結核で療養している同僚の見舞いにいきます。健康であったなら、本来この同僚がアメリカにいく予定だったのです。 

しかも、男は、同僚の妻と何度か関係を持ち、渡米をきっかけに円満に縁を切ったばかりだったのです。男は同僚と 病院を抜け出して、雨の降る阪神競馬場に向かい競馬を観戦します。同僚には本当のことを言えるはずもなく、男は泥だらけの中を走る馬に自分の姿を投影する という宮本輝らしい緻密な心理描写が光る作品です。 

病で夭折した作家たち

このように文学と関わりが深い結核ですが、結核菌が原因で夭折した文筆家も多くいます。寅彦の 妻と同じ「夏子」が本名の樋口一葉は24歳、石川啄木は26歳、中原中也は30歳、正岡子規は34歳でこの世を去っています。彼らの才能は卓越したものでしたから、もっと長生きをして優れた作品を後世に残してほしかったと思います。 

と同時に、私は、彼らがもし今の時代に生きていたら、どんな生き方をしたの だろうかと妄想することがあります。今の時代は、表現方法の選択肢が多彩ですから、天才の域にあった彼らなら、あるいは文学の枠を超えた表現方法を選択したのではないでしょうか。 

中也はエド・シーラン超えか?

特に中原中也あたりは、シンガーソングライターになっていた可能性が十分にあります。なにしろ自分の詩にクラッシックの専門家が曲をつけてくれたことを大いに喜んでいたという中也に関する記述もあるくらいですから。ギターを抱えた中也が「汚れちまった悲しみは……」なんて歌ったら、軽くエド・シーラン超えをするのではないでしょうか。 

あるいは、「思えば遠くにきたもんだ」は、俺の「頑是ない歌」のパクりだと武田鉄矢を責め立てていたかも しれません。