やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

街でライオンと出会ったら挨拶はした方がいいの?

昔は犬の飼い主もずいぶんとずさんで、路上で放し飼いにしている方がよくいました。子ども達は犬によく吠えられたり、追いかけまわされたりしたものです。そうした体験がトラウマになって、大人になっても犬が怖いと感じる人が少なからずいるのではないでしょうか。

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 今回は犬ではなくライオンが路上にいたというお話です。これは1999年頃に書いた掌編小説です。いわば大人の寓話といったところでしょうか。 

『さりげないライオン』

もうずいぶん前のことになるけど、覚えているだろうか、ライオンが動物園から逃げ出した話。

あのライオンはまだ捕まっていない。当時は外出禁止命令も出され、町中がパニックに陥ったけど、結局ライオンはどこにも姿を現さなかった。

やがて「海に飛び込んだのを見た」とか「外国のサーカス団が密かに捕獲した」なんてまことしやかな噂が流れ始め、そのうち誰も関心を示さなくなった。

実はそのライオンはまだ生きているんだ。

都会にいたライオン

都会は案外過ごしやすいところだ。それもひとえに、人々が自分に関わりのないことにまるで無関心だからだ。ライオンは都会の中心ともいえるエリアで暮らしていた。特段人目を憚るわけでもなく、日中でも自由に行動をしていた。さりげなく過ごしてさえいればライオンの存在を意識する者は誰もいない。

餌だって豊富にある。レストランの裏口に廻れば、残飯という名の新鮮な肉をいくらでも口にすることができた。だからといって、ライオンはむやみに腹を肥やすようなことはしない。獲物は必要最小限度にとどめる。それが自然界の掟というものだ。

しかし、その掟をあえて破ることがあった。ほとんど口のつけられていないビーフステーキが手に入ったとき、ライオンはそれを大事にねぐらまで持ち帰った。保存するためではない。 同じ公園をねぐらにしているヒサムと呼ばれるホームレスの老人のためにだ。

本来ライオンは血族以外のものに餌を分け与えるようなことはしないものだが、いつの頃からか、そんな行動をとることが当たり前のようになっていた。長年、動物園で過ごした影響で、野生の本能が薄らいでいたのかもしれない。

ライオンの友人

ヒサムは足が少し不自由だ。そのうえ片目がほとんど見えない。それが原因で定職を失い、やむにやまれず生活保護の申請を何度か試みたものの、手続きがなにかと煩雑で結局あきらめのだと、ライオンを相手によくぼやいていた。

ヒサムは、よく故郷の話をライオンに閉かせた。北国の貧しい農家の暮らし。八人兄弟の末っ子で、何ひとついい思い出はないのに、ヒサムは今でも故郷に帰りたいらしい。故郷を語る時、ヒサムはいつも目に涙を浮かべていた。

ライオンも遠い故郷のサバンナに思いを馳せた。百獣の王と呼ばれるけど、ライオンは決して楽に暮らしているわけではない。餌となる立場の生き物だって必死に逃げ回るし、時には反撃もする。ライオン同士のテリトリー争いもある。子どもを飢えさせまいと四六時中走り回っていた母の姿が、ライオンの脳裏に蘇った。

些細な不注意から人間に捕まり、遠く離れたこの地に連れてこられた自分。母の悲しみを思うと胸が痛むが、それでも、ここはサバンナよりはずっと過ごしやすい。かつては寒さに身を震わせていた冬という季節でさえ、温暖化された気候のお陰で近頃はまったく苦にならなくなった。

襲撃される

ある日、ライオンはいつものように餌を求めて街を徘徊していた。腹も十分に満たされ、そろそろねぐらに帰ろうかと考えていた矢先、遠くで悲鳴が聞こえたような気がした。

  ヒサムが助けを求めている。

本能的に感じとったライオンは、全力でねぐらに戻った。

やはり野生の感覚は衰えていなかった。公園の一角で黒い影がうごめいていた。この界隈では、見かけたことのない若者達の集団だ。

「もう、勘弁してくれや」

ヒサムの弱々しい声が漏れ聞こえた。

「おい、聞いたか、勘弁してくれだって」

若者達の乾いた笑い声が響いた。

  こいつらが、噂の連中か。

各地のホームレスを無差別に襲撃するグループの存在は、ライオンも耳にしていた。

「俺達はなあ、街をきれいしようとしているんだ。ゴミ同然のお前らが、ここに住みついている限り、勘弁なんかできないんだよ」

ヒサムの額からは既におびただしい量の血が流れ出ていた。 若者の一人がまさにとどめの一撃を加えようとしていた。

(ウォッー)

ライオンは打榔を阻止しようと鋭く吠えた。忘れかけていた野生の声だ。

若者達は、振り返ると一瞬凍り付いたように固まってしまった。

(ガルー)

ライオンは、さらに強い意志を示して若者達の行動を諌めた。その咆哮が合図になったかのように、若者達は動きを取り戻し、這々の体でその場から逃げ去った。

「ラ 、ラ イオンだ」

「本物のライオンが出た」

若者達の悲鳴とも思える叫び声が町中に響いた。

ライオンは、ヒサムの傷を癒やそうと額の傷口を嘗め続けた。遠い日、母が自分にしてくれた時のことを思い出しながら。だが同時にライオンは、ヒサムの息づかいから、死期が近いことを悟った。

別れのとき

人間というやつは、まったくひどい生き物だ。何の意味もなく平気で他者の命を奪うことができるのだから。もうヒサムの故郷の話を聞くこともできないではないかと、ライオンはしみじみ感じ入った。

やがて何台ものパトカーがサイレンを鳴らして近づいてきた。狙撃隊が配置され、ものものしい警備体制が敷かれた。上空ではヘリコプターが飛び交っている。

人間達の目がライオンに集中している。ライオンとして存在を認識されたのは、動物園以来のことだ。だが見つめる目が根本的に違う。今取り巻いているのは、敵意をむき出にした視線だけだ。これも自分がケダモノだからだろうとライオンは思った。

だが、そもそもケダモノとは何だ。もし闇雲に命を奪う生き物をケダモノと呼んでいるのなら、紛れもなくケダモノとは人間自身ではないのか。

銃口が等間隔に並んで自分に向けられていることにライオンは気づいた。既に照準は合わされているようだ。それにもかかわらず、射撃をためらっているのは、ライオンの傍らにヒサムがいるからだ。瀕死の状態になって、ようやくヒサムは一人の人間としての扱いを受けた。

ライオンは母の姿を思い浮かべた。こんなとき母ならどんな行動をとるだろうか。獣の世界の頂点に立つ種族としてのプライドを賭けた戦いに挑み、堂々と銃弾に身を晒すべきなのだろうか。いや違う、生きることこそが最優先だ。母なら、どんな手段を使ってでも生き抜いていける方法を選択するだろう。

ヒサムがついに息を引き取った。もはやライオンにとって、そこに横たわっているのはただの物体でしかなかった。どうやら、ここを立ち去るべき時がきたようだ。ライオンは尾を巻き付けると銃口に背を向け全力で走った。

銃砲から一斉に弾丸が発射された。(了) 

 まとめ

「さりげないライオン」お楽しみいただけたでしょうか。実はこれは同名の小説の一部で、今回の作品は小説の中で朗読される童話の部分だけを抜き出したものです。

それでは「さりげないライオン」という小説の全体像はどうなのだということですが、それはまた別の機会に全文を公表いたします。

ところでタイトルの「街でライオンと出会ったら挨拶はした方がいいの?」ですが、この質問の答えは、もちろん「逃げろ」です。 

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