やがて書きあぐねし凡情

=今日も何もなかった=

小説の主人公は作者よりもモテるか?

 

小説を発表する機会が増えると、作者である私よりも作品の方が独り歩きをします。何かの機会で読者に遭遇したときに「あら、思っていたイメージと全然違う」などと失礼極まりない言葉を投げつけられることもしばしばです。そんな作品と作家のギャップについてお話しします。

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 「聴く耳の秀才」といわれた

かつてインターネットで劇作を学んでいた時代がありました。現役の劇作家の指導は丹念で非常に勉強になりました。あのとき学んだことは今でも大きな糧となって私の中に息づいています。 

そんなネット講座で、ある著名な女性作家が担当講師となりました。私は修正すべき点を指摘されたときに、そのまま修正するのではなく、意を汲んで別の角度から直すということを繰り返していました。あるとき、その方法を絶賛されて、某女性作家から「あなたは聴く秀才です」とまで言われて、すっかり舞い上がったものでした。

ところが数年後、彼女の書いた演劇が地元で公演される機会があったので、終演後のこのこと会いにいきました。そのときの言葉は、今も忘れられません。彼女の口から発せられたのは、「あら、思ってたイメージと全然違う」でした。……まあ、そうだろうなと思いましたけどね。 

ちなみに今私は専ら小説を書いていて、劇作とはきっぱり縁を切りましたが、このときの体験が原因ではありません。 

なぜ小説の主人公は作者よりも頭がいいのか

前置きが長くなりましたが、小説の主人公と作者はどちらが頭がいいでしょうか。小説の主人公は、作者の産物なので、作者を超えることができないと考える方もいるでしょう。 

ところが実際は、主人公の方が作者よりも何倍も頭がいいのです。議論する場面を思い浮かべてみてください。正統派の主人公であれば、敵役の勝手な理屈をいとも簡単に論破します。 

作者本人が実際にこうした場面に遭遇したら、こうはいきません。議論をふっかけられてたら、たちまち「アワワワワ……」と窮するのが関の山です。 

なぜ主人公が当意即妙で答えられるのかといえば、主人公が発する言葉を選ぶのに、作者が何日もかけて考えているからです。さらには何百回と推敲しているからです。将棋でいえば、作者は持ち時間が1分なのに対して、主人公は持ち時間を10時間も有しているうえに、「待った」有りのルールで戦っているようなものですから、とてもかなうはずがありません。 

八千草薫をイメージしていたら

作者と主人公が乖離するのは、小説に限ったことではありません。私はエッセイで経験があります。エッセイの場合は「作者=主人公」ですから、本来乖離するはずがないのです。 

私が読んだそのエッセイは地方のエッセイ公募で佳作(第2席)に輝いた作品でした。

 40歳を過ぎたばかりの主人公の女性に縁談が持ち込まれます。相手は妻と死別した40代後半の男性でした。結婚をして幸せに暮らすのですが、4年後に夫が病死します。その家には成人した2人の子どもと姑がいたこともあり、主人公は家をでます。 

その後も夫の月命日には墓参りを欠かさなかったのですが、あるとき先約がいました。夫の息子とその若き妻らしき女性でした。息子は生まれて間もない赤ん坊を抱いています。やがて主人公に気がついた息子は、「抱いてもらえますか」といって赤ん坊をそっと差し出したのです。

 

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私は、夫の月命日に墓参りをするうえに、こんな繊細なエッセイを書ける人は、きっと八千草薫のような人だと想像していました。そして、このエッセイに感動したので、何かの掲示板に絶賛したコメントを書き込みました。

それが巡り巡って作者のN子さんの元に届いたようなのです。こんなことも忘れた3年後、私のコメントを読んだ共通の知人を介してN子さんと会う機会を得ました。……まあ皆様ご推察のとおり八千草香ではありませんでしたね。 

じゃあ誰に似ているのかといえば、年齢が中田喜子に近いとだけいっておきましょう。また巡り巡って本人の目に触れるかもしれませんから。 

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それでも小説を書く理由

なぜ作品と作者のイメージが違うと誹謗されながらも小説を書き続けるかといえば、その誤解を楽しんでいることも否定できません。 

私が書いたある小説で、主人公が職場の部下と男女の関係になった話を書いたことがあります。ところが、それを読んだ高齢男性から「職場の人間と関係を持つのはけしからん」と批判されたのです。 

もちろん現実の社会では許されないことですが、これは小説なのです。小説の中で主人公が真っ当に生きていたら、誰もそんな本は読みたくはないでしょう。小説でも殺人が許されないとなれば、世の中から推理小説は消滅します。 

現実の社会でできないことを主人公が作者に成り代わって実現してくれる。だから小説を書くことを止められないのです。